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北回帰線|ヘンリー・ミラー

以前、ジョージ・オーウェル氏に対するヘンリー・ミラー氏の発言を書きましたが、わたしはそのキレのいい発言に影響をうけ、ヘンリー・ミラー氏がどんな作品をつくりあげているのかということが気になり、さっそく「北回帰線 (新潮文庫)」という本を手にしました。
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手にしたところまではよかったのですが、わたしにはヘンリー・ミラー氏の作品は読めませんでした。20、30ページ読んだところで、よんでいられなくなりました。最後まで読まないと魅力がわからないというたぐいの本でもなさそうだったので、先を読んでみようというきもちもおこらず、また、先をよむのに必要な数時間を想像すると、べつのことをしたい、他の本をよみたい、というきもちがドバっと雪崩れてきました。どうしようもないことでした。

一見失礼な感想ですが、ヘンリー・ミラー氏自身の作品自体が、500ページにわたって、延々とこういったことを書いてあるのではないかと、わたしは想像しています。

ヘンリー・ミラー氏が問題にしている、大切にしているのは、本になにを書いたかということではなく、絵でも、文章でも、音楽でも、自分が表現するものには、本能とか、欲望とか、衝動とか、人間にそもそも備わっているはずのエネルギーを遠慮なくぶちまけたかどうかで、そういった視点からこの作品ながめてみると、よみかた次第ではおもしろくもなります。

ヘンリー・ミラー氏は1891年ごろに生まれているので、この作品を仕上げたのは40歳もすぎたときです。そのことを頭の片隅に置きながら、たとえば、――

本に書くことなど、もう一つとしてない。

と、書いています。

こんなだれもよみたくないようなことをわざわざ本に忘れずにきちんと書くということは、こういった自分の姿勢をみんなにしって欲しいのでは、という想像も浮かんできてしまいます。

おどろかされたのは、これだけではまだ書きたりず、この先500ページ以上も書きつづけています。本心はめっちゃ書きたい人なんじゃないかと、自分の尺度ではかってしまいます。

書くことなどないと書いて、調子ははずれているけれども、とにかく歌いたいから歌うと書いています。

このくだりを読んで、素直に、ふつうに思ってしまうことは、歌いたいなら歌えばいいのに、ということ。それをいったらおしまいですし、こういうふうにヘンリー・ミラー氏が書いたきもちはなんとなくわかりますので、本心は書きたいから書いているのだろうと、勝手に想像させていただきました。

この若さというか、青さというか、形式を破壊して、技術を放棄してという、1930年代から80年もの未来にあたる2010年代に生きる者の目で、こうしたスタイルをふりかえってながめてみると、作家だけでなく、画家にも、音楽家にも似たようなスタイルの人たちが見あたりますので、どこかで見たことのある態度というか、――1930年代には「芸術的な本」だったのかもしれない、という思いが正直なところです。

ヘンリー・ミラー氏のほかの作品をしらずになんですが、この「北回帰線」にかぎって言えば、この作品の芸術としての可能性は、勇気を与える本とでもいいますか、もしくは、500ページの詩のようなところにあるのかもしれません。そうおもったのは、作品冒頭の必要以上に力の入った唾の吐き方や、序文でのアナイス・ニン氏の文章にあります。

根源的な現実への嗜欲をとり戻す――もしそういうことが可能だとすれば――そういう力のある小説がここにある


もしそうだとすれば、詩でもできることを、散文でおこなったということです。こう考えるとわたしには、たぶんこの本が500ページかけておこなったことを、ある日本の作家の一言で感じとれたことがあります。

君は君自身でい給え


こういったスタイルの芸術家は現在でも作家だけでなく、絵や音楽の世界にも数多くいますので、おそらく、1934年には必要だった、通用した、本だったということには納得できます。個人的には、芸術という視点では、ジョージ・オーウェル氏や、ジョルジュ・シムノン氏の足元にも及んでいません。

ヘンリー・ミラー氏、現代に生まれていれば、ブログ、めっちゃ書いてるかもしれません。

あと気になるのは、1930年代に、性や、日記というものは、どういう位置づけにあったのでしょうか。時代の空気、しかもパリの空気を、一息さえ吸ったことのないわたしには想像がつきません。ただ、この二人の、性とか、日記とか、プライバシーに関わってくるものに必要以上に重みをおいているところに、時代的ななにかがあったような気がしないでもありません。

そもそも、性や、日記というものに対して、わたしは個人的なものだという思いが強いですので、それをどの程度読み手を意識してフィクション化しているのかはわかりませんが、わざわざ本にしてぶちまけたかった欲望、そして、それが芸術として認められた時代だった、ということのように思います。日本でも流行した私小説というやつとも、ある意味では似てるところもあるなあと思ったりしています。

またヘンリー・ミラー氏が音楽、ピアノがしたかったことも視野にいれると、ジャズの即興音楽のようなもの目指して、この作品を書いたのかもしれません。しかし、音という姿形をのこらさないものだからこそ有効な表現方法が、文字という記録や伝達を目的のひとつとしている姿かたちをのこすものにも有効だとは思えませんので、あくまでも精神の問題として、姿勢の問題として、このヘンリー・ミラー氏は芸術家たちに迎え入れられたのかもしれません。