桜の園|アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ
何かごたまぜの感じの、登場人物がやたらに多い
登場人物が多く、ドタバタと入れ替わるので、名前と役割がなかなか一致しませんでした。
「おおきなかぶ」の記事にも書きましたが、ロシアの名前が頭にはいりません。それでいて、人間関係で名前の呼び方も異なります。
本名だったり、愛称だったり。はじめて読む人には、おそらく努力が必要な作品です。しかし、途中まで来ると、物語の展開がおもしろくなり、こういった手間も忘れて読みました。
また、登場人物の設定が絶妙です。ロパーヒン(エルモライ・アレクセーエヴィチ)という商人と、ラネーフスカヤ(リュボーフィ・アンドレーエヴナ)という女地主の過去から現在にいたる社会的な役割の変化が、生々しくて、読みごたえがありました。
他の登場人物も劇的に強烈です。すごいくだらない、日常にありそうな膨大なやりとりが物語に広さと奥行きを与えていき、そうした中に紛れ込ませるようにして、ひとつ、またひとつと、ゾッとするような発言が飛び出してきます。
チェーホフの時代の認識、時代感覚、革命の到来の予見
株式投資の本でも『桜の園』が紹介されていました。
チェーホフの傑作『桜の園』の桜の木が切り倒される音を、忘れられる人がいるだろうか。しかも、ラネーフスカヤ一家の凋落を招いたのはマルクス主義ではなく、自由主義市場経済への移行であった。自分の資産を守るために、努力しなかったからである。『ウォール街のランダム・ウォーカー』バートン・マルキール
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ氏は、ロシアを包んでいく資本主義の本質を見つめていたのかもしれません。
ペーチャと呼ばれる万年大学生のトロフィーモフ(ピョートル・セルゲーエヴィチ)に、商人ロパーヒンのことをこう評させました。
あんたは金持ちだ、おっつけ百万長者になるだろう。新陳代謝の意味では、猛獣が必要だ。なんでも手当たり次第、食っちまうやつがね。君の存在理由も、要するにそれさ。 『桜の園』アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ
上記のバートン・マルキール氏の『桜の園』の引用紹介文は、『ウォール街のランダム・ウォーカー』という本を、より魅力的にするための引用紹介のようにも感じました(翻訳者に原因があるかもしれません。)
物語のある登場人物は、自分の資産を守るために努力しなかったために凋落しましたが、過去の象徴としての桜の木にこだわっているのは、過去にしがみついていた登場人物だけです。
現在を生きる商人ロパーヒン、未来を追い求める万年大学生トロフィーモフやその恋人アーニャにとっては、桜の木よりも大切なものが見えていました。チェーホフ氏は、どうだったでしょうか。
ひとりの読者として「桜の木が切り倒される音が忘れられない」ということはあると思います。
わたしのように、桜の木の切り倒される音よりも、これからの登場人物の人生の音楽に耳を澄ませていた人もいたはずです。チェーホフ自身、桜の木を踏み台にして、「迫りつつあるどえらいうねり」に苦悩し、不断の勤労という道を歩いていく意志があった可能性も否定できません。
桜の園の元ネタ2作品
戯曲『桜の園』には、よく知られているようにチェーホフ自身の書いた二編の小説の世界が、組み込まれている。
チェーホフ自身の作品、『知人の家で』『いいなずけ』という二編の小説の設定を、うまく合流させているそうです。