あくまでも「ブログ」。

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ギターはアンドロジナス

1.スピッツ「醒めない」のアンドロジナス

ギターはアンドロジナス 氷を溶かしてく 『醒めない「醒めない」』スピッツ

アンドロジナスの辞書的な意味「両性具有」を、そのまま歌詞にはめると「ギターは両性具有 氷を溶かしてく」です。
よくわかりません。イメージもつきません。歌詞次のように続きます。

まだまだ醒めない アタマん中で ロック大陸の物語が 『醒めない「醒めない」』スピッツ

「氷」によって、頭の中にあるロック大陸の物語が「醒めない」ように、アンドロジナスのギターが「溶かしてく」という文脈。わたしはこの文脈で腑に落ちています。だから、「アンドロジナスのギター」についてのイメージを見つけたい。

現代日本の言葉の魔術師のような人が、あえて言葉をぼかしています。どれだけ伝えにくいイメージでも、これまでたくさんの人に伝えてきた人が。

ギターが両性具有なら、なにとなにに分割されるのか。どういう流れで、氷を溶かしていくのでしょうか。
思いあたるのは、月から出たアンドロジナスが、恐ろしい力と強さ、気位の高さから、神々に挑戦したというくだりです。草野正宗氏のギターやロックに対するイメージと、神々への挑戦、反逆者のイメージはしっくりきます。が、わたしの物語にするには、なにかがちがいます。正直なところ、ギターと詩人が半身どうしだというイメージの方がしっくりきます。

さて人間の原形がかく両断せられてこのかた、いずれの半身も他の半身にあこがれて、ふたたびこれと一緒になろうとした。そこで彼らはふたたび体を一つにする欲望に燃えつつ、腕をからみ合って互いに相抱いた。『饗宴』プラトン

ご本人にしかわからないことです。どうとでもとれるように書いたということは、受けとった人間に残りの50%の創作活動を任せたと考えることも、ある意味では健全です。ご本人に確認しても「ロックな方で」とか、言ってくれそうですし――。この悩みがきっかけで、すごい本と出会うことができました。

ソクラテス前の五人の演説者

プラトン(427-347)『饗宴』を読みました。序文とソクラテスが出てきてからは、アンドロジナスを忘れるほど夢中でした。
序文とソクラテスが出てくるまでは、読むのをやめようかと思うくらい退屈でした。しかし、この地ならしのような5人の退屈な演説がなければ、ソクラテスとディオティマの演説もわかりにくかったのかもしれません。
ファイドロス、パゥサニヤス、エリュキシマコス、アリストファネス、アガトン。

プラトン作「饗宴」の中で想定される人間の原初的な姿で、人間二人が一体となっているもの。ゼウスにより一人一人に分割されたため、互いにその片割れを恋い慕うようになり、恋愛が発生したとされる。両性具有。三省堂『大辞林』

ソクラテスとディオティマ

ソクラテスが出てきた瞬間に、場の空気が変わります。正確にはソクラテスの考えではなく、ディオティマというマンティネイヤの婦人に教えてもらった話です。

この考察から必然に出て来る結論は、愛の目的が不死ということにもあるということであります。『饗宴』プラトン

この作品『饗宴』のハイライトの部分ですので、興味のあるかたは読んでみてください。

続「醒めない」のアンドロジナス

プラトン『饗宴』を何度か読みなおしていると、もうすこし考えが広がりました。進んではいません。
ひとつめは、論理ではなく芸術ですので、両性具有という言葉も、もっと柔軟にあつかっていいのかもしれないと思ったことがきっかけです。
ギター自体を両性具有として、アンドロジナスとしてとらえた場合、夢と現実という片割れどうしが、そもそもひとつだった象徴として、表現されたというイメージ。夢だけでも、現実だけでも、氷によっていつかは醒めてしまう。
アンドロジナスとしてギターを存在させることのできる人だけが、醒めることなく、氷を溶かし続けることができるのかもしれません。

続々「醒めない」のアンドロジナス

その理由は、われわれの原始的本性(原形)がこれであり、われわれが全き者であったというところに在る。それだからこそ全きものに対する憧憬と追求とはエロスと呼ばれているのである。『饗宴』プラトン

そして、エロスの本質は中間だと書かれていました。エロスは有限者と無限者の中保者たるダイモーン(神霊)として、両者を結ぶ橋となる。
頭の中のロック大陸と、氷による醒め。夢と現実。この夢と現実を結ぶ橋として、詩人のエロスとギターのエロスがふたたび一つになろうとする。このギターと詩人が一体となった姿を、原初的な姿、アンドロジナス、両性具有とする物語が、ロマンチックでわたしは好きです。

見事に遊べました。詩人の完成させた作品を、鑑賞者が無数の創作を繰り返す。そういう未来も予想したうえで、詩人は作品を仕上げたのかもしれません。