あくまでも「ブログ」。

「芸術、お金、仕事」のことを書いています。「ハッピー・ライティング」を目指します。

プラド美術館展|兵庫県立美術館

プラド美術館展――ベラスケスと絵画の栄光――

プラド美術館展へ行ってきました。副題に「ベラスケス」と入っていますので、衝動的に行きました。春からの忙殺的な仕事も一段落つきましたので、昼に仕事を早退して大阪から兵庫県立美術館へ向かいました。

いろいろな作品がありましたが、ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス氏の作品の他は、特に興味がわきませんでした。なぜでしょうか。
また、ベラスケス氏の作品は、書かれているものが何であろうと、書かれた対象に興味がなくとも、ずっとながめていることができます。近くで見ると、かなりラフに描かれているところもあります。

細かく書いてあるところと、大ざっぱに仕上げているところがありました。以下のフランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン氏の言葉はレンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン氏に対する言葉ですが――

近くで見ると、この画は外のよりも雑に出来てるように見えます。なおざりな荒い筆触で画かれたと人は言うかもしれません。全体を見る時それが真の傑作である事がわかります。(略)
護るべきものと犠牲にすべきものとを知っている。彼は、その背後に、彼の外の画で画いた細部の研究をすべて持っている。そしてここに至って彼は自由です。自分の主です。(略)
細部のない単純化は貧弱しか与えません。細部は、組織の中をめぐる血です。全体の中に入れられるべきものであって、全体はそれを包むので、殺すのではない。これが本当の単純化です。

メニッポスの衣の下に、右腕をしっかりと感じることをができたことも、こういったことに関係があるのかもしれません。

ベラスケス氏の作品は見ていて、レンブラント氏の作品を連想します。きっちりと画かないところが、特に――そして、そこに、とてつもない魅力があり、惹きこまれます。イメージは、ポール・セザンヌ氏へ、雪舟氏へ――

ベラスケス氏の作品のみが見どころでした。それだけでも価値は充分です。しかし、全体としての印象はものたりませんでした。
一人で気ままに芸術と向き合う時間が、心の安定や充実をもたらしてくれることを改めて感じました。
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ボヴァリー夫人|フローベール【再読】

ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』

小林秀雄全作品を読んでいると、フローベール氏がずいぶんと出てきます。また、ウィリアム・フォークナー氏も以下のように言っています。

ぼくの作品は、当然そうあるべき水準をもっている。つまり『聖アントワーヌの誘惑』とか旧約聖書を読んだときと同様な印象を与えることだ。それらの作品は、ぼくを爽快にする。鳥を見つめている爽快さに似たものだ。

学生時代に一度読みましたが、細かな描写が退屈に感じた記憶があります。
それが今回読んでみたところ、退屈だったはずの描写が退屈じゃないだけではなく、登場人物が三次元的に浮きあがってくるような気になりました。
これだけの描写を積み重ねていくには、どれだけの時間と根気が必要――なだけでなく、人間の本質に迫っていきます。
『源氏物語』がちらちらと――

細部まで手を抜かない姿勢がこのような崇高さを与えているのだと思います。
けれども、日本人の私の心の奥底には「描き過ぎているのではないか?」という感情も残ります。

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン氏はフローベール氏について、以下のように言います。

フローベールだったと思いますが、「誇張を外にして真に大なるものなし。」と言っています。それはよく言った真理です。彫刻では、筋肉束の隆起に抑揚をつけたり、省略を強めたり、窪みをえぐったりしなければなりません。そういう事が気力と豊かさとを与えます。

クロード・モネ氏はポール・セザンヌ氏について、以下のようにいいます。その意味はわかりませんが、セザンヌ氏の絵とフローベール氏の小説に、どこかしら共通するものがあったのかもしれません。

……量感と色彩との揺るぎないリズムの追求に狂ったように突進し、時にはそれが到達するが、時には自分自身をつかむために悲壮な戦いをする天才の、手探りの状態で足踏みする、絵の世界のフローベール

西洋流では、最高峰な作品なのかもしれません。
この作品から学ぶべきものは無限にあるということもわかった上で、日本人の私には、最高峰な作品は他にあるように感じています。

小林秀雄全作品13「歴史と文学」|一九四〇(昭和十五年)―一九四一(昭和十六年) 38歳-39歳

一九四〇(昭和十五年)38歳

アラン「大戦の思い出」

翻訳について書きはじめ、途中からなにがなにやらという感じになりますが、いつものようにぼんやりとした塊をごろりと置いています。

不思議といえば不思議な事だが、例えば、「万葉集」が、それが語るあれこれの思想としてではなく、原形のまま生きざるを得ないという事も、僕等のこの不思議な欲望によるのだ。恰も掛け替えのない木や草が在る様に、原詩は在ると信ずる。

期待する人

保田与重郎氏について書いています。明治四十三年に奈良で生まれ、当時三十歳の方です。

ジイド「芸術論」

アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド(André Paul Guillaume Gide)氏について書いてます。アンドレ・ジイド氏は、ジョルジュ・シムノン氏を高く評したそうですので、個人的にいい印象をもっています。

彼が「贋金造り」の制作の苦心を、どんなに鮮やかに語ってみせようとも出来上がったものの詰らなさ加減に変わりはない。

文芸月評 ⅩⅨ

岡本かの子氏「生々流転」、保高徳蔵氏「勝者敗者」、横光利一氏「実いまだ熟せず」、井伏鱒二「多甚古村」、伊地知進「大地の意志」、阿倍知二「風説」、深田久弥「知と愛」について書いています。

世相が次第に複雑になり、生活の様式にしろ、思想や心理の型にしろ、暗黙のうちにお互に通じ合うというていの定った形式が壊されて来ると、小説家は、短編という枠のなかに人生の断片をしっくり嵌め込むことがだんだん困難になる。

芭蕉は不易流行を言ったが、周知のように、両方に足を突っ込むというような易しい説き方はしなかった。問題はそれらの源にある風雅というものを極むるにあった。

清君の貼紙絵

当時18歳の山下清氏について書いています。一九二二年に東京で生まれ、千葉県の八幡学園でちぎり紙による点描風貼絵を習得したそうです。

清君は普通の子供が言葉や数や覚える様に、言わば異常な色感によって色を暗記しているのだ。彼の絵は今後どうなるであろうか。恐らく画家の好奇心をだんだん満足させない様になるだろう。たとえ、いよいよ発達したものになるとしても、彼は、その豊富な色の暗記と組合せの、極めて孤独な世界を出る事はあるまい。彼には、本当の画家の、色を提げて自然に挑む道は開けていまい。ただ清君の絵が画家に語るたった一つの真実な無慈悲な言葉がある。天賦の色感のない者は画家になろうとするな、と。

育児をしている身としては、こちらの言葉に目がとまります。

子供が大人の考えている程子供でないのは、大人が子供の考えている程大人でないのと同様である。

議会を傍聴して

議会の感想を書いています。

これほど退屈なものとは知らなかった。知らなかった方がよかった様なものである。

文芸月評 ⅩⅩ

高山樗牛氏からいろいろなことを考えていきます。

歌も亦形あり目方のある品物の様なものだ。

文章について

書くということにつて書いています。

色を塗って行くうちに自分の考えが次第にはっきりした形を取って行くのである。言葉を代えれば、彼は考えを色にするのではなく、色によって考えるのである。

モオロアの「英国史」について

アンドレ・モーロワ(André Maurois)氏の「英国史」について書いていたはずが、しまいには「英国史」を第三流の史書といいます。

ここで言う天才とは、例えば「神皇正統記」に明らかな様な歴史家の天才の意味だ。又それは、北畠親房にあっては、過去を正確に描いて未来を創り出した大歴史家としての条件が稀有な完璧を示しているという意味だ。

感想

日本人の心について書いています。

日本人の心は僕らの深い処にある。僕等が理解したり或は理解しなかったり、或る時は信じたり或る時は疑ったりして居る思想やら知識やらのもっと下の深い処にある。

欧州大戦

第二次世界大戦(一九三九~四五)初期におけるドイツとイギリス・フランス連合などとの戦争について書いています。
伴大納言絵巻――

処世家の理論

東亜共同体論について書いています。

理論と実際とは離す事が出来ず、意志と分別とは同じものである、そういう結構な智慧を僕等は何の為に天から授っているのだろうか。

一事件

心理的なものが引き起こすトラブルについて書いています。

滑稽なる哉。

道徳について

道徳について書いています。

自信というものは、いわば雪の様に音もなく、幾時の間にか積ったものでなければ駄目だ。

環境 ☆

イポリート・テーヌ(Hippolyte Adolphe Taine)氏について書いています。

芸術家は、具体的な個別性に徹底する事によって普遍的な美を表現する。

オリムピア ☆

オリンピックの話と思いきや、芸術の話になっています。

詩人にとっては、たった一つの言葉さえ、投げねばならぬ鉄の丸だろう。

エドガー(エドガール)・ドガ(Edgar Degas)氏とステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé)氏の会話も引用しています。

ドガが慰みに詩を作っていた時、どうも詩人の仕事というものは難かしい、観念はいくらでも湧くのだが、とマラルメに話したら、マラルメは、詩は観念で書くのではない、言葉で書くのだ、と答えたという。

事変の新しさ ☆

日支事変(日中戦争)について書いています。豊太閤(豊臣羽柴秀吉)の朝鮮征伐(文禄慶長の役)を下敷きにします。

ヘエゲルが、或る日山を眺めていて「まさにその通りだ」と感嘆したそうです、そういう話が伝わっています。

批評家と非常時 ☆

批評について書いています。

政治の動きを決定するものは、金力にせよ権力にせよ、ともかく実際の力であり、あらゆる意味での言葉の綾ではない。福沢諭吉とか中江兆民とかいう大言論家の言論も、政治を動かす力はなかった。

「維新史」 ☆

維新史について書いています。王政復古、尊王思想――

この矛盾混乱に眼を見張って、はじめて、そのなかに生き死にする人間の思想の尊さが解るのである。

どの様な思想も安全ではない。

ヒットラアの「我が闘争」

アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)氏について書いています。

ヒットラアという男の方法は、他人の模倣なぞ全く許さない。

ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)氏「『経済人』の終わり」を思い出します。

マキアヴェリについて ☆

マキャベリとマキャベリズムの乖離について書いています。

人間の様々な生態に準じて政治の様々な方法を説くのを読んでいると、政治とは彼にとって、殆ど生理学的なものだったという風に見える。政治はイデオロギイではない。或る理論による設計でも組織でもない。臨機応変の判断であり、空想を交えぬ職人の自在な確実な智慧である。彼は多くの事を漠然にと望まぬ。少しの事を確実に望む。若干の平和と若干の自由を望めば足りる。若干の平和と若干の自由とを、毎日新たに救い出すより外に、平和も自由も空想の裡にしかないだろう。

自己について ☆

いくつかの直観を羅列しています。

「史記」や「大日本史」の列伝を読んでいると、現代の小説から人間というものが消失してしまっている事を強く感ずる。人間を活写する術が、年とともに進歩したという様な事を、どうしても信用する気になれぬ。人間の間違いない姿態を描く術はもうとうの昔に完成しているのだ。

紫式部を思い浮かべます。

ドストエフスキイが、あれほど深く人間心理の迷路に踏み込んで、路を失わなかったのは、登場人物に常に単純な兇暴な行為をさせることを忘れなかったからである。

ジョルジュ・シムノン氏も兇暴な行為をさせています。

小林秀雄氏から学ぶことはこれからもたくさんあるけれども、趣味というものはあるように思います。
小林秀雄氏の平家物語と源氏物語について、吉本隆明氏がこうおっしゃいました。
www.1101.com

小林秀雄氏が小説における心理描写を異常に嫌悪している理由も、このあたりに原因があるのかもしれません。
無意識の視点については、別の著者から補う方がいいかもしれません。

文学と自分 ☆

文学における覚悟について書いています。

文学者の言葉は、そのどちらの種類でもありませぬ。一つの詩を読んで、煙草を持って来る人もなければ、よろしい君の理窟は解ったという人もない。詩は行動のなかにも理解のなかにも消え去らぬ。最初書かれたそのままの姿を何時までも保存しております。

いつものことですが、読んでいてまさかこんなところまで連れていかれるとは――という感じです。

文学者は己れの世界から外へは出ませぬ。(略)
己れの世界とは言う迄もなく自分が直接経験する世界の事です。この世界は狭いものだ。(略)
毎朝、新聞を拡げただけで、ドイツの事からイギリスの事からどんなに種々雑多な沢山の知識が眼から飛び込む事でしょう。而もその知識の一つ一つには、何の確実さもないのである。見てくれはいかにも現実的な知識であるが、その曖昧さその不安定さには驚くべきものがあり、その点で殆ど子供の空想と選ぶ処はない。その上、例えば太陽の廻りを地球が廻っているという誰でも知っている知識にしても、ただ本にそう書いてあったからそういうものかと思っているに止まり、自分で観察し実証したわけでは更々ない、そんな知識も不確実な知識の部類に入れるならば、僕等の不確実な知識の国、つまり僕等の空想の国の広さは莫大なものでありまして、そんな途轍もない空想を背負って暮らしているという事は、――

生活において大切なことも書いてくれています。

空想は、どこまでも走るが、僕の足は僅かな土地しか踏む事は出来ぬ。永生を考えるが、僕は間もなく死なねばならぬ。沢山の友達を持つ事も出来なければ、沢山の恋人を持つ事もできない。腹から合点する事柄は極く僅かな量であり、心から愛したり憎んだりする相手も、身近にいる僅かな人間を出る事は出来ぬ。

芸術上の天才について

芸術上の天才について書いています。分析的な仕事の限界を書いています。

謎が正確に解けた以上、解けたものを逆に結び合わせれば謎が出来ると信じ込む危険であります。(略)何故なら分解された諸要素を逆に組み合せれば、いつでも驚きぐらいは生ずると思い込んでいるからです。

政治論文

批評について書いています。

「松岡外相論」の論者は、松岡という人物に対する自分の信頼の情以外の事を一つも書いていない。それでよいのである。それが批評なのである。

「戦記」随想

数種の「戦記」について書いているはずが、カール・レーヴィット(Karl Löwith)氏の文章への返事になっています。

メスはよく切れているがヨーロッパ流に切れているに過ぎない。氏のメスのとどかない宝は日本国民は沢山持っている。そして宝は恐らく氏が日本人の弱点となすその弱点自体のなかにあるように思う。

処女講演

大学を出た年に関西学院で行った講演について書いています。

電報を持って志賀直哉氏のところへ行った。

一九四一(昭和十六年)39歳

感想

正倉院御物を見に行った時に湧き出てきた感想を書いています。

過去というものは無いのだ。過去とは過去と呼ばれる信仰の意味だ、この平凡な考えが、今更の様に僕の頭を刺戟していたからである。

また、福沢諭吉や山鹿素行の言葉を紹介し、当時の状況に一言述べています。

野沢富美子「煉瓦女工」

才能について書いています。

才能というものは、ほんとうに人間が育って来ると重荷になるものだ。楽に使った自分の才能が楽に使えなくなるものだ。そういう時機が必度来て才能とは何物であるかを教えてくれる。この時機を知らない人は、自分の才能に食われて終る。まだそういう経験を知らぬ人の才能をあまり讃め上げる事はよい事ではない。然し、世間は讃める事によって人をいじめるのかも知れぬ。

富永太郎の思い出

富永太郎氏について書いています。

そして、自分は当時、本当に富永の死を悼んでいたのだろうか、という答えのない疑問に苦しむ。

モオロア「フランス敗れたり」

アンドレ・モーロワ(André Maurois)氏への嫌悪を書いています。

ここに現代人の好尚がよく見える。解り易く、手取り早く話してくれ、しかも退屈しないように話してくれ、皆そう言っている。

島木健作

島木健作氏について書いています。

島木君、君は正しいのだ。早く風邪でも直すがよい。他に何にも考える事なぞないのである。

ロマン「欧羅巴の七つの謎」

ジュール・ロマン(Jules Romains)氏について書いています。

歴史と文学

河合隼雄氏や中村雄二郎氏の言っている「臨床の知」について、すでに書いてあるような気がします。焦点が「歴史」というものに向けられているだけです。

歴史も人生も、二度とくりかえすことはありません。
近代科学にはなれませんでしたが、近代科学の外側で力を蓄えています。

それは、例えば、子供に死なれた母親は、子供の死という歴史事実に対し、どういう風な態度をとるかを考えてみれば、明らかなことでしょう。

歴史について書いています。

僕は、日本人の書いた歴史のうちで、「神皇正統記」が一番立派な歴史だと思っています。(略)
日本の歴史が、自分の鑑とならぬ様な日本人に、どうして新しい創造があり得ましょうか。

林房雄

林房雄氏について書いています。

大工は粗悪な材料から丈夫な家を建てる事が出来ない。芸術家だって全く同じ事なのである。

「歩け、歩け」

高村光太郎についてかいています。

ある著名な詩人と、ある著名な作曲家が、一国民歌謡の創作で失敗したというようなことは何でもない。(略)だが、こんなヘンテコな歌が、生まれでてくる現代日本のヘンテコな文明の得体の知れぬ病気状態が僕にはもうかなわぬ。

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小林秀雄全作品12「我が毒」|一九三九(昭和十四年)37歳

一九三九(昭和十四年)

翻訳/我が毒 サント・ブウヴ著

シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ(Charles Augustin Sainte-Beuve)氏の翻訳が、小林秀雄氏の全集に含まれています。それはサント・ブーヴ氏の考え方に小林秀雄氏がなんらかの肯定的な感情を抱いていたからだと思います。

私はサント・ブーヴ氏にはあまりいい印象をもっていませんので、いつも読みとばしていました。学生時代に読みとばして以来、30代になり、今さら読もうという気にはなりません。
そう思いながら読んでみると、本に水色の蛍光ペンで線が引かれていました。いつか読んだのだと思います。記憶というものはその程度のものかもしれません。

サント・ブーヴ氏は、オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac)氏のことをあまりよく思っておらず、ヴァランタン=ルイ=ジョルジュ=ウジェーヌ=マルセル・プルースト(Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust)氏からあまりよく思われていなかった――

「我が毒」について

ご自身の翻訳について簡単な感想を書いています。

文中のラテン語の訳は、森有正氏の手を労した。フランス語の部分も渡辺一夫氏に負う処が多かった。

新放送会館――テレヴィジョンを見る

テレビをはじめて見たときの感想を書いています。

梅若万三郎の「翁」が始まるところであったが、ははあこれが大スタジオという奴か、と高い天井なぞキョロキョロ見上げて、とても謡なぞ聞いている気にもなれず、暫くして出ようとすると、一たん入れたら出さぬ規則だという。
三十分の御辛抱だという。出すと余計な音がするという理由らしいが、中に坐った二三百人の人間が、既に余計な音を出しているのである。

慶州

慶州へ行った感想を書いています。

事変と文学 ☆

当時の小説の登場人物について書いています。いい文章です。

最近の文学が、どんなに沢山の不具者ばかりを描いて来たかに驚くであろう。まるで当り前な人間は、小説人物として失格している様な有様である。小説に登場するには、何か一癖ないといけない。

アナトール・フランス(Anatole France)氏の文章を引用しているのですが、それがフランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin)氏の言葉ともつながります。

歴史の緩慢な変化についてのアナトオル・フランスの言葉で、この文を始めたのも、いい文学には、そういう歴史の緩慢な変化に対応する、言わば緩慢な智慧というべきものが必ず見附かるからなのである。

ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)氏の考え方とつながっています。ドラッカー氏の考え方につながるということは、エドマンド・バーク(Edmund Burke)氏の考え方につながっています。

伝統のない処に文学はないというのもその意味なので、それが何か古臭く思われるのも、行き過ぎた眼がこれを見るからである。伝統は徐々に確実に進むだけだ。

「文學界」編輯後期24――「ドストエフスキイの生活」のこと

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー氏のことを書いた本について書いています。

久しい間、ドストエフスキイは、僕の殆ど唯一の思想の淵源であった。

自我と方法と懐疑

ルネ・デカルト(René Descartes)氏の本について書いています。

「自我」の問題は、古今東西を貫くという事を、彼ほど僕にはっきり教えてくれた人はない。

学生の頃に『方法序説』を読んだ気がするのですが、あまり覚えていません。またひっぱりだして読んでみようと思います。

疑惑 Ⅱ

政治とからめてご自身の仕事について書いています。

鑿を振って大理石に向う彫刻家は、大理石の堅さに不平を言うまい。

疑問

なんやらむしゃくしゃしているような感じです。

出来上がって了った知恵とか思想というものは、どんな時代でも本当言えば暇人の玩具に過ぎないのであるが、今日のわが国の国民思想を考える様な場合には、特にその事を痛感せざるを得ない。

外交と予言

政治について書いています。独ソ不可侵条約――

ドイツは名実ともに共産主義に転向するであろう、その時には花火なんぞ上るまい、と。

鏡花の死其他 ☆

泉鏡花氏の逝去にふれ、文章を書いています。いい文章です。

お化けが恐いのはお化けが理解できないからであり、自然が美しいのも自然が理解出来ないからであろう。

現代の小説家は、例えばフロオベルから、リアリズムという小説技術は学んだ筈なのに、彼が信じた様な絶対的な小説という言葉による創造の世界の絶対性などは、もう到底信ずる力がない。

神風という言葉について

神風という言葉、それをとりまく人たちについて書いています。

内的な必然性に固執する芸術家の仕事の方が、遥かに確からしい仕事と、彼の眼に映らぬであろうか。

「デカルト選集」

デカルトについて書いています。ロダンも出てきます。小林秀雄氏の考え方のいくつかは、ロダンにつうじているように思います。

又この「理性の光」を育てる方法は各人が己れの裡にその種子を発見し、これに恰も職人が自分の技術に習熟する様に習熟する他はないことを。

大獄康子「病院船」

戦争文学の特徴について書いています。

翻って思え、今日の文学が充分な表現に拘らず、心眼を開いてこれを見れば、なんと何が何だかわけのわからぬ人間共ばかり書いている事か。

「テスト氏」の方法

アンブロワズ・ポール・トゥサン・ジュール・ヴァレリー(Ambroise Paul Toussaint Jules Valéry)氏について書いています。

哲学者に対する無関心或は不信用は、ヴァレリイが機会ある毎に示している処だが、デカルトだけは例外である。彼はヴァレリイの推賞して止まぬ唯一の哲学者であり、「方法序説」はヴァレリイが取上げて批評している唯一の哲学作品だ。

「僕が、それを明らさまに演繹してみせたくないというわけは、人が二十年もかかって考えた処を、二言三言聞いただけで、一日で理解したと思い込む様な人々、そういう人々は明敏なほど失敗も多く、真理から遠ざかる連中だが、そういう人々が、これを機に僕の原理と信じ込んだものの上に、無法極まる哲学を築き上げ、その罪を僕に帰する事を恐れた為である」

人生の謎

サント・ブウヴの言葉をとりあげています。

要らないものは、だんだんはっきりして来る。

学者と官僚

西田幾多郎氏について書いています。

例えば西田幾多郎氏なぞがその典型である。氏はわが国の一流哲学者だと言われている。そうに違いあるまい。だが、この一流振りは、恐らく世界の哲学史に類例のないものだ。氏の孤独は極めて病的な孤独である。西洋哲学というものの教えなしには、氏の思想家としての仕事はどうにもならなかった。氏は恐らく日本の或は東洋の伝統的思想を、どう西洋風のシステムに編み上げるべきかについて本当に骨身を削った。(略)そしてそういう仕事で氏はデッド・ロックをいくつも乗り越えて来たに間違いあるまいと思う。
だが、この哲学者は、デッド・ロックの発明も征服も、全く一人の手でやらねばならなかったのである。こういう孤独は、健全ではない。(略)
西田氏は、ただ自分の誠実というものだけに頼って自問自答せざるを得なかった。自問自答ばかりしている誠実というものが、どの位惑わしに充ちたものかは、神様だけが知っている。この他人というものの抵抗を全く感じ得ない西田氏の孤独が、氏の奇怪なシステム、日本語では書かれて居らず、勿論外国語でも書かれてはいないという奇怪なシステムを創り上げて了った。氏に才能が欠けていた為でもなければ、創意が不足していた為でもない。

学生の頃に小林秀雄氏の言葉に支えられ、救われたような体験を勝手にしていますので、感謝のような気持ちがなくなることはありません。
井筒俊彦氏の文章を読んで以来、西田幾多郎氏への印象が変わりました。

歴史の活眼

明治大学での講義について書いています。

「工夫あらん仕手ならばまた目きかずの眼にも面白しと見るやうに能をすべし」と世阿弥は教えた。

読書の工夫 ☆

小説を読むということについて書いています。いい文章です。

世間知らずの画家にも美しい画は書け、別に人間通でなくても、美しい音楽の書ける作曲家もあるだろうが、小説というものは、何と言っても世間の観察、人間の観察が土台となっているもので、世間を知らない小説家なぞあるものではない。(略)
いい小説は、世間を知り、人間を知るにつれて、次第にその奥の方の面白味を明かす様な性質を必ず持っているからだ。

立派な作家は、世間の醜さも残酷さもよく知っている。そして世間の醜さも残酷さもよく知っている様な読者の心さえ感動させようとしている。これが作家の希いであり、夢想である。

小説の一番普通の魅力は、読者に自分を忘れさせるところにあると書いています。そこから踏みこんで以下のようなところまで読者を連れていきます。

実地に何かやってみるまでもなく、小説を読んでいれば実地になんでもやっている気になれるので、実地になにもやらなくなる。じっと坐っては人生を経験した錯覚を楽しみ時を過ごすようになる。(略)
これは小説ばかりではない、いろいろな思想の書物についても言える事だ。読書というものは、こちらが頭を空にしていれば、向うでそれを充たしてくれるというものではない。

日比野士郎「呉淞クリーク」

戦争文学について書いています。時代柄かもしれません。

「呉淞クリーク」だけが戦争ではあるまい。だが作者は、この戦争の一場面に、自分の精神を一っぱいに隈なく使用している。

イデオロギイの問題

ご自身の批評について書いています。

人間は、正確に見ようとすれば、生きる方が不確かになり、充分に生きようとすれば、見る方が曖昧になる。誰でも日常経験している矛盾であり、僕らは永久に経験して行く事だろう。(略)
見る事と生きる事との丁度中間に、いつも精神を保持する事、どちらの側に精神が屈服しても、批評というものはない。これは理智の上の仕事というより、寧ろ意志の仕事である。

そしてここでサント・ブウヴ氏が姿を現します。小林秀雄氏は1902年生まれですが、1804年に生まれたフランス近代批評の父と呼ばれた人に支えられていたのかもしれません(翻訳を全集に載せなくてもと思いましたが、それほど大きな影響の下にあったということなのかも――)。

何故思い切って毒を呑まないのだろうか。懐疑と独断との種に充ちた実生活にあって、自分の精神がどう揺れるか、そのありのままの精神を純化して、これを批評の原理とするのを、何故恐れるのか。詩人や小説家はたとえ無意識にせよ、又漠とした足取りにせよ其処へ行く。

新明正道へ

新明正道氏は1898年うまれの社会学者らしいです。この頃、その方と言い合いをしました。その一部です。

君は君でやればよろしい。

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となりのトトロ|スタジオジブリ

となりのトトロ

妻とのなにげない会話から宮崎駿氏、スタジオジブリの映画作品をふりかえろうと思ったのが、2017年10月頃のことです。『パンダコパンダ』『カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』とふりかえっているうちに、これらの作品の関連するものへと、興味が広がっていきました。そのうち、モーリス・ルブラン氏の「アルセーヌ・ルパン」シリーズにどっぷりとはまり、ジャン・ジローという芸術家のことも知りました。

たった3本の映画を観ただけで、これまで縁のなかったいろいろなものと出会い、これまで以上に芸術のための時間を望むようになっていきました。とはいえ、忙しい毎日に芸術の時間をつくることは、かんたんなことではありません。

残業し、妻子の寝ている時間に帰り、薄暗い部屋で風呂に入り、夕食のようなものを食べ、寝て起きて、仕事へ行く――
だいたい、こういったサイクルのなか、休日もちらほら訪れます。

早朝4時過ぎに子が目を覚まし、妻がそれに付き合い、というようなことを毎日繰り返しているそうなのですが、今日は休日でしたので、私もそれに付き合いました。

近所の図書館で借りていた『となりのトトロ』の返却日が明日だったので、早朝から『となりのトトロ』を親子で観ました。
知名度に反して印象の薄い映画でしたが、久しぶりに観ると、いい映画でした。
音楽もいいし、終わり方が秀逸でした。

トトロ、ネコバス、トウモロコシ。

証人たち|ジョルジュ・シムノン

ジョルジュ・シムノン「証人たち」

ジョルジュ・シムノン氏の小説(メグレじゃない方)には、1ページ目から惹きこまれます。極度の緊張感が漂っています。異常に主人公と読者の距離が近いです。

バルザックの細部、ゴーゴリの詩的霊気、コンラッドの第三次元、プルーストの回想など、いくつもの技術が次から次へと駆使されているようにも感じます。

作者が主人公の中に入り、読者は主人公を外から眺めます。眺めていたはずが、読んでいると、主人公と同化しそうになります。

情景を浮かび上がらせる描写力。余計なことは書かないというライティングスタイル。

一見、余計なことばかりが書かれているようにも見えるのですが、多くの場合、人や空間など、なにかを立体化させるために書かれています。
そして、なんだかよくわからない一筆書きのような一文が、印象派絵画の技法のように、無数に積みかさねられ、ひとつのモザイクとして姿をあらわします。

「人間が、他の人間を理解できるのか」という問いを、冒頭から投げかけていきます。
しかし、「それは不可能なことだ」という考えにたどりつきます。

カテゴリは「芸術、文芸、フランス」と設定していますが、ベルギー出身の作家です。

メビウス博士とジル氏|ヌマ・サドゥール

無意識からのメッセージ

仕事に私生活が侵食されると、強い反動が生じました。

最近は帰宅後も休日も自宅で仕事の続きを行っていたのですが、もたなくなったのかもしれません。
家での仕事の時間はうんと減らして、からだが欲することをせずにはいられないようになってきています。

社会保険労務士の資格をとって、この先の仕事として深めていこうと思っていますが、それは生活のために決心したことにすぎませんので、心の奥底の叫びのようなものには太刀打ちできるような力はありません。

自分が生活のために会社で行っている仕事は、自分の人生において、それほど大切なものにはなりようがないことがわかってきています。
そういったものは辞めてしまって、好きなことだけに没頭したいと願う自分が顔をだしはじめています。
バランスのとれない状況に、反動が生じてしまうような状況に、陥ってしまったのだと思います。

そこで手にとった本は、本棚で寝ていた『メビウス博士とジル氏 二人の漫画家が語る創作の秘密』でした。
この漫画家のことはほとんど知りませんが、この本は読んでいて心が落ち着きます。

役にたつもの、役にたたないもの

頭が疲れ切った時、ぼんやりと藤原行成氏の日記を読んでいます。
物語らしい物語はないのだけれども、これが本当の物語のような気もしてきます。

正岡子規氏の日記や、夏目漱石氏の日記。
そんな感じと似たようにして、藤原行成氏の日記を読んでいます。

この本に、この日記に、なにも求めていません。

毎日仕事をして、仕事の役に立つ本を読んで――
時代の違う一人の人間の日記を、覚えるでもなく、感動するでもなく、
ぼんやり目を紙に並んだ文字のうえですべらせるだけです。

だから、心が落ち着きます。

役に立つことは、本当のところでは、おもしろくはないのかもしれません。
役に立たないことのほうが、ここ一番の時には、おもしろいのかもしれません。

厳格に抑制された日記の文章から、千年前の声が聴こえるような気もします。

だれだったか、漱石だったか、
どこかで見たような言葉が、わたしという勝手な翻訳を通して、浮かんで、消えていきます。

役にたつということは、役にたつというだけのことで、
役にたつために生まれてきたわけでもないし、また、詩的にはなんら価値もない――

自分の手がうみだすもの

大切なものには、相応のものを

大切なものになにか書かないといけないとき、自分の手がつくりだしうみだすものが拙いものだとしたら、あまりいい気持ちではいることができません。この先の人生でなんどもくり返し、そういった場面が訪れるとすればなおさらです。

労働社会保険諸法令関係の手続きを行うときに必要な書類への文字の記入をしているうちに、自分の字に、すこしまいってしまいました。

どうしたらうまくなるでしょうか。

過去の能書に歩み寄る

藤原行成(九七二~一〇二七)は平安時代中期の貴族で、能書として知られ、小野道風(八九四~九六六)、藤原佐理(九四四~九九八)とともに「三跡」と称されています。(『藤原行成の書 その流行と伝称』)

本棚から藤原行成(ふじわらのこうぜい)に関する書をとりだし、ながめてみました。

  • 藤原行成の真跡「詩、陣定(公卿の会議)の定文(議事録)、書状」
  • 行成の書風を真似た作品「延喜式(律令制における格式の式は施行細目)、詩、法華経の注釈書、和歌、板額」

川の水や空の雲を見ていると、こころになにかしらの影響をあたえてくれます。
それと似たようなものを、書もうみだすことができます。

芸術だけでなく、政治においても、書は大切なものとされていたと思います。

最後に、八世紀にいたって史料が急増した理由を考えよう。私の考えでは、律令制にその最大の原因があったと思う。いままで口頭で伝えた行政上の命令も報告も、律令制はすべて文書によれと強制した。文字を覚えることが必要な時代となっていたのである。(『日本の歴史3 奈良の都』青木和夫)

正しく手続きを行うことが目的で、必要以上にうまく書かないといけないとも思いませんが、書いていて目をそむけたくなるような字ではなく、相応のバランスを保ったものを、自らの手でうみだせるようになりたいと――

その人の日記も本棚にあったので、それもめにし、こころのうちがわもすこしのぞいてみます。

経営は「実行」|ラリー・ボシディ他

引っ越ししてずいぶん経ちますが、書斎は散らかっています。本棚が足りないことが原因です。本棚を買い足すよりも先に、今ある本の取捨選択をしようと思い、そのまま床に本が散乱しています。

「実行」という聞きなれた言葉を掘り下げる本

まず最初に手に取った本はラリー・ボシディ『経営は「実行」』です。
ずいぶん昔に読んで、いい本だったという印象が残っています。しかし内容はタイトル以上のことは記憶にありません。今でも「いい本」なのかどうかを確認しました。

通勤時間と帰宅後に読み、数日が過ぎました。
いい本でした。

実行はひとつの独立した専門分野

経営に関する本ですので、どうしてもピーター・ファーディナンド・ドラッカー氏と比較していまいますが、衝突することはないです。ピーター・ファーディナンド・ドラッカー氏の著書のなかに含まれてしまうような内容の本であれば「捨」を選択していましたが、この本にはこの本にしかない魅力が満載でした。

仕事への向き合い方に、ビジネスと芸術に境界線はない

「実行」という言葉を中心にした本を300ページ読んでいると、孔子論語から王陽明学、そして海を渡り、江戸中江藤樹から幕末の志士への流れが思い浮かびました。知行合一。転がる先は扱うもの次第の言葉です。

思い浮かんだだけで、この本の「実行」は、東洋流ではなく西洋流です。ロジカルです。
一流の芸術作品を仕上げる時のように、「小さなことを積み重ねていく」ことを徹底します。
現実と向き合い、細部まで徹底させます。

もっとも必要なのは、リーダーが自分の組織に情熱を持って深く関わることであり、他社や自社の現実に正直であることだ。

現在(2018年1月)は中古でしか見当たりませんが、かなりいい本です。